iPad について

iPad を購入してからしばらく経つ。この記事も iPad の FastEver XL で下書きして、ブログへポストしている。このデバイスについては、色々と賛否両論があるみたいだ。たとえば、 宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:オルタナティブ・ブログ のような。

iPad は魔法の道具ではない。我々の生活を根本的に変質させる夢のようなデバイスでも、人々の心を惑わす悪魔的な呪具でもない。それはシリコンでできた単なる機械だ。そこに何らかの意味を見いだすのは人間の所行だ。

その事実を忘れてはいけないと思う。コヘレトの言葉を引くまでもなく、太陽の下、新しいものなど何ひとつない。近代の見る夢とは異なり、技術の向上は世界の変質をもたらさない。変革は幻想であり、道しるべにはなるかも知れないけれど、そこに辿り着くことはできない。

だから、必要以上にこの機械に愛憎を示すのはやめるべきだ。それはほんの少しだけ、我々が時間を潰す相手をしてくれるかもしれない。遠くの街に住むあの子と話す機会を作ってくれるかもしれない。我々が忘れてしまうようなことを、覚えていてくれるかもしれない。けれども、それだけだ。それは人間の生の本質を変化させることなどしない。過剰な賞賛も侮蔑も、この機械には不釣り合いだ。

これだけ確認してから、今ハマっているiPadゲームのことでも書いてみようと思う。