倫敦記

9月18日

9時就寝、10時起き。12時間以上寝てしまった。それでも、体の節々が痛い。まだ完全に体調が戻っているわけではないようだ。

昼からそばの Spitalfields Market で行われている「ジャパン祭り」に顔を出す。ちらし寿司、いなり寿司を食って、日本酒を飲む。いい気分で買い出しに。

中心部ではあまりよいものは見つからなかった。無印でドライヤーやスリッパなどの生活雑貨を購入。Apple Store Regent Street で iPhone 4 を買おうとしたが残念ながら売り切れだった。Oxford Circus から地下鉄で帰宅。

Argos にて調理器具を購入し、もういちどジャパン祭りへ。カレーが3ポンドで投げ売りされている。安いので購入。日本酒も5ポンド引き。安くて笑いが止まらん。テイスティングと称してがぶがぶ日本酒を飲む。売り子の秋田美人と仲良くなった。飲む予定のない酒を買って帰る。まあ、いつかふるまう機会があるに違いない。

夜、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」をぱらぱらとめくる。こんなことばがあった。

…1929年頃には、様々な学科の一年目の学生は、二つの種類というより、ほとんど別個の二つの人種といってよいようなものに分けられた。一つは法科と医科の学生で、もう一つは文学と自然科学の学生である。
外向的と内向的という言葉は、およそ陳腐ではあるが、おそらく、この対称を表現するにはもっとも適当であろう。一方には、「若者」(民俗学が伝統的に、この言葉を年齢階級の一つを指すのに用いているような意味での)、騒々しく無遠慮で、およそ最低と思われる俗悪さと手を握ってでも世の中を安全に渡ろうと心を砕き、政治的には極右(その時代の)を志向している「若者」。そしてもう一方には、いまからもう老け込んでしまった青年たち、慎重で、引っ込み思案で、一般に「左傾」しており、彼らがなろうと努めているあの大人たちの仲間に今から数えられるべく、苦行している青年たちがあった。

学生というものは多く似ているな。僕は後者だった。