零八憲章
中国で逮捕されていた劉暁波(りゅう ぎょうは)が11年の禁固刑に処されることになった:In Sentence of Activist, China Gives West a Chill - NYTimes.com。社会学者のダニエル・リトルもこの記事をカバーしている:Understanding Society: Repression in China。
劉氏は昨年末に発表された「零八憲章」の執筆者の一人で、反体制活動家。今までにも何度か反体制側が拘留されることはあったが、著名な活動家が逮捕されることは初めて、とリトルは述べている。この零八憲章は中国の民主化を訴えるものだが、なかなか興味深い。例えば、その基本理念は「自由、人権、平等、共和、民主、憲政」である。そして、19の基本的主張は:
零八憲章 - 維基百科,自由的百科全書
内容は広く政治改革や経済改革から、環境保護まで、多くの案件を含んでいる。こうやってみると、最近の西洋政治思想で問題になっているトレンドをとりあえず全部詰め込んだパッケージのようにも見える。なじみのある単語がすべて中国語の四字熟語になっているのは、日本人としては興味深いところだ。中国においていかに西洋思想が受容されていったか、もう少し調べてみたい。
リトルは先ほど挙げた記事の中でさしあたって人権の保障が重要である旨を確認してから legality の問題へと議論を移している。政治的抑圧をなくし、法の支配を確立するために重要なことは、表現や財産、安全に関する諸権利を保証することである、とリトルはいう。政府の民主化によって、そのような課題は達成されていくだろう、と。
民主化 democratization、自由化 liberalization、また権威主義体制 authoritarian state といった概念群は、政治的成熟 political maturity という括りで理解するのが適切だろう。例えば日本にも「民度」ということばがある。ある指標を用いて、様々な政治体制を比較し、その内部でヒエラルキーを作り、下位にいる国家群は上位にいる国家群のようになるために努力しなければならない、という発想が惑星規模で行われているのは近代に突入してからだろう。そういった発想が日本の近代化も推進してきた。けれどもこのような発想において、一体いつになったら近代は達成されるのだろうか。現在でも日本を民度の低い国として想像している人々が数多くいるが、一体そのゴールはどこにあるのだろうか。