フェーゲリンとレヴィナス

昨日レヴィナスの熱心な読者である内田樹の書を紹介したので、少しフェーゲリンレヴィナスの関係について。

彼らが実際に会ったという事実はない。フェーゲリンナチスによるオーストリア併合(アンシュルス)の後米国に渡っており地理的にも遠く、また当時の政治学の潮流の中で広く受け入れられた存在ではなかった。しかし仮に会う機会があったなら、彼らの哲学の数多くの共通性を感じることとができただろう。フェーゲリンはレイモン・アロンと親交があり、アロンは Remarques sur la Gnose Leniniste と題した論文をフェーゲリン80歳の誕生日のための記念論集に贈っている。1950年の夏、フェーゲリンはアロンに会うためにパリへ向かい、その際にジャン・ヴァールとモーリス・メルロ=ポンティにも会う予定だった。しかし彼らは休暇中でパリにはいなかったので、この邂逅は成立しなかったのだ。もしフェーゲリンがフランスきっての哲学者であった彼らと会うことができていたら、そのつながりでエマニュエル・レヴィナスと会うことができていただろう。

1950年の夏、仮にフェーゲリンがヴァールとメルロ=ポンティに会っており、そしてヴァールが『秩序と歴史』の書評を書いていたとしたら、彼はヴァールを通じてその近しい友人であったエマニュエル・レヴィナスとコンタクトをとっていただろう。そしておそらく、彼はレヴィナスとの根本的な興味の共通性を発見していただろう。様々な共通性が彼らの間に存在することは朖かである。特に彼らのフッサールに対する批判及びそこからの「nonintentional consciousness」に対するアプローチの共通性は注目に値する。(p. 771)

Between Gnosis and Anamnesis - European Perspectives on Eric Voegelin

僕はレヴィナスをきちんと読んだことがないので分からないが、考えていることも似通っているのだろう。もう少し調べる。