ところ変わって

先週はバリにいたが、今週は東京にいる。何度か書いたかも知れないが、東京は苦手だ。視覚に入ってくる情報量が圧倒的に多い。人間の数が夥しい。金を使わなければ遊べないような空間設定になっている。ふと疲れた時に鴨川に行くことができない。御所も銀閣寺も、四方を囲む山々もない。なんて書くと、京都が大好きのようだ。そうでもない。困ったな。とにかく、東京はやはり、日本ではない。それは一つの夢なのだ。この「東京異国説」は私の友人たちの間では通説となっていて、様々な論証があるのだが、それはまた書く機会もあろう。

バリは、親類の結婚式で行ったので、リゾート巡りのようなもので、あまりおもしろみはなかった。「バリは観光するところではなくて豪遊するところ」と友人が言う。そうなのかも知れないが、私は豪遊は苦手なのだ。困ったな。

人類学者としてはインドネシアを思考の片隅に置いておかなければならないのだろう。『ヌガラ――19世紀バリの劇場国家』も読まなければならない。けれども私は正直言って、この雰囲気があまり好きになれなかった。ここで生きる人々は、何を感じ、何を考え、日々を生き抜いているのだろう。5日ばかり滞在したのに、バリ島に生きる人の一日のペースが、さっぱり分からず、つまらない。リゾートというのは結局どこに行っても同じことなのだから、わざわざこんなところにつくる必要はないではないか。こんなところで結婚式など挙げるなら、自分の出身の大学で、知り合いの牧師にやってもらう方が私はいい。

季節は乾期と言うことで気候は過ごしやすく快適だった。人々は笑顔で、欧州と違ってあまり不快になることはない。けれども…東南アジアに来ても自らの作法を崩さない白人たち(大量に)。パック旅行で歩き回る日本人たち(意外と少なかった…殺人事件があってからぐんと減少したという。何とも日本人らしい話だ)。看板に書いてあるのは、英語、日本語、中国語、ロシア語。

ああ、ヨーロッパが生み出した近代世界の排泄物。美しい夕日を眺め溜息をつくくらいなら来ねばよいのに。ナシゴレン、ベベクゴレンはうまいのだが。