マルクス的人類学について

風邪で倒れながらも今日は日本でお世話になった先生が倫敦にいらっしゃったのでお会いしてきた。話ながら少し考えたことを覚え書き程度にまとめておきたいと思う。

LSE 人類学の長老、モーリス・ブロックはマルクス主義人類学の大家である。彼は主に東アフリカを離れインド洋に浮かぶマダガスカル島におけるメリナ族の割礼儀式についての歴史人類学的研究で知られている。彼の研究の細部はそこまで重要ではないが軽く触れておこう。曰く、メリナ王朝からフランス植民地を経て現在に至るまででその政治的な位置づけは大幅な変容を被ってきたが儀式の内容そのものはほぼ変わらずに来た。下部構造の大幅な変化に伴うその機能の変容がその象徴的内容に影響を及ぼさなかったのは何故か、という問いに対して用意される答えは、彼岸に関わる宗教的象徴は儀式実践そのものを通じて再生産されるため変容しづらいこと、そして儀式中に行われるコミュニケーションは極度に儀礼化されており些細な変容をも排除するように構成されていること─儀式を「やめる」か「する」かの選択肢はあれどもそれを変化させるという選択肢は難しいこと─である。

ところで非常に興味深いことだが、メリナ族の間で話されており現在はマダガスカル公用語でもあるマラガシはオーストロネシア語族、即ち台湾やインドネシアなど東南アジアで話されていることばに属する。この語族の祖は台湾にあると言われている(台湾全土が中国系の政府によって全面的に支配されるのは1949年が初めてである)。この事実はしばしば忘れ去られる海洋住民の一大移民の痕跡を示している。インド洋はシルクロードのように人と物を運んでいたのである。とかいうとロマンチックすぎるがだいたいあってるはずだ。

閑話休題。ブロックは親族体系や価値体系の歴史的変容をも下部構造に関連づけ、どのように人々が生産を行うかに常に目を配っているが、それでいて単純な下部構造決定論に陥らない(ある親族関係がある生産関係にうまく「はまる(fit)」とは表現しても、それが因果関係であるとは言い切らない)。このようにゆるやかなマルクス的視点を持ち続けることの重要性に対して反駁することは難しい。どのような人類学者もその社会の経済的構造に目を向けなければ人々の作り上げる文化の彩りに目を奪われてしまい、社会の諸関係の中で生きている人間の姿を見失う。

われわれは政治的マルクス主義の終焉を経験し、学問においてもマルクス的世界像がかつて持っていた権威は失墜してしまったが、だからといってマルクスの社会科学における遺産をすべて窓の外に放り出してよいというわけにはいかない。フーコーはかつてマルクスは19世紀思想史の湖の中で生きる魚であると喝破したが、我々は今、「イエス・キリスト」ではない「史的イエス」を研究するのと同じように、「史的マルクス」を─人々を救済する解放の使徒としてのマルクスではなく─研究することができる立場にいるのだと思う。

米国では医師や弁護士、教授やパイロットといった近代の生み出した専門職の貧困がますます激しくなるという。本邦では新卒学生の就職率が過去最低を記録する。単に貧富の格差という問題ではなく、富める者はますます富み、飢える者はますます飢える─階級の再生産、そしてその間を移動することの困難さは、2010年代の始まりのこの年、かつて無いスケールでますます強まっていくように見える。

勿論 Crude Marxism に戻ることなどわれわれにはもはやできない。かつて見た革命の夢をもう一度掘り起こしレーニニズムを叫ぶジジェクにそう簡単に同意することなどもはや不可能だ。少なくとも私にとって政治的マルクス主義は過去の遺産でしかない。それでは私が取るべき政治的態度はいま、何であるのか?

いや、政治的態度にまで話を広げるべきではないだろう。社会の人類学的な研究において経済構造への視点を持ち続けるべきであるという理論人類学的考察は、いまここに生きる私がどのように政治と関わるべきかについての考察とは別個の問題系である。後者は倫理の問題なのだから。しかし、では、私が何らかの形で政治空間に現れるとして─ハンナに習い「あらわれ」こそが政治においてもっとも重要なのだと考えるとして─わたしはどのように自らを re-present するべきであるのか?

続くかも。

「われわれはただ一つの学、歴史の学しか知らない。」ドイツ・イデオロギー