先住民であるということ

Conklin, Beth. 1997. Body paint, feathers, and VCRs: Aesthetics and auenticity in Amazonian activism. American Ethnologist 24(4): 711-737.

面白かった。文化のポリティクスの時代において、ラテンアメリカで先住民性がどの様に変質しているかという話。西洋的な言説における従来の先住民イメージでは、エキゾチズムとプリミチズムが非常に強く存在した。先住民は西洋の技術を扱えない、ビデオレコーダーを使う者は先住民ではない、といった具合に。技術とインフラが発達し、また先住民に対するイメージが環境運動と繋がることによって向上した今日、カヤポ族など先住民活動家たちは従来のイメージ逆に利用し、半裸、ボディペイントをつけて写真に映ることでメディアの関心を引くようになる。しかし一方、半裸性や羽の装飾に対して特別な意味を見い出さないワリ族やパタクソ族の様な人々は、先住民として扱われなくなっていく。

興味深かった点

  • 従来、ある人間の先住民社会における地位を表していたボディペイントは、西洋人との接触においてはその意味の豊かさを失い、単に先住民性を示すものとなる。
  • 「VCRを使えるって?それでどうして先住民だと言えるんだい?」から「頭に羽をつけないって?それでどうして先住民だと言えるんだい?」へ。
  • ラテンアメリカにおいては、誰が先住民であるか、ということは自明ではない。これについては Urban, Greg and Joel Sherzer, eds. 1991. Nation States and Indians in Latin America. Austin: University of Texas Press を参照とのこと。