世界ランド

書き物はフットボールに似ている。場が動いているとき、最適解はほぼひとつしかない。けれども場がいったんリセットされてキックオフが始まろうとするとき、どのようなボールを蹴り出すのが良いのかはわからない。

しばらくものを書いていないと、自分の文体がどのようなものであったかも忘れてしまうことがある。乗っているときはいくらでも書けるように思えるのに、突然、一体自分がどのようにして文章というものをひねり出していたのかを思い出せなくなるのである。

そういうときは、新しいものを脳に入れてみるのがよい。いったん、文体をどこからか借りてきて、それでキックオフを終わらせてしまうのである。そういった意味もあって、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)新装版 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)新装版 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)新装版 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)新装版 (新潮文庫)

村上春樹の長編小説を読むのはこれは初めてだった。以下、多少作品の内容に関わることにも触れるかも知れないから、未読の方は避けてもいいかもしれない。

元来ハルキの小説はあまり好きではなかった。今までも話の種に読んでみようとしたことはあったが、少し読み進めると、どうしようもない違和感といったようなものが頁をめくる手の中から立ち上がってきて、そこで止めてしまうのだ。それが一体どういうものかはわからない。ただ、「これはわたしの読むべきものではない」と無意識が告げるのである。

今回も初めのうちは読書体験を支配していたのはこの違和感であった。たとえば。

私はポケットの中で指を動かすのを中断して扉の外に目をやった。扉の外には廊下があり、廊下には女が立っていた。太った若い女で、ピンクのスーツを着こみ、ピンクのハイヒールをはいていた。スーツは仕立ての良いつるつるとした生地で、彼女の顔もそれと同じくらいつるつるしていた。女は私の顔をしばらく確認するように眺めてから、私に向かってこっくりと肯いた。どうやら〈こちらに来るように〉という合図らしかった。私は小銭の勘定を諦めて両手をポケットから出し、エレベーターの外に出た。私が外に出ると、それを待ち受けていたかのように私の背後でエレベーターの扉が閉まった。

廊下に立ってまわりをぐるりと見渡してみたが、私の置かれた状況について何かを示唆してくれそうなものはひとつとして見あたらなかった。私にわかったのは、それがビルの内部の廊下であるらしいということだけだったが、そんなことは小学生にだってわかる。

それはともかく異様なくらいのっぺりとした内装のビルだった。私の乗ってきたエレベーターと同じように、使ってある材質は高級なのだがとりかかりというものがないのだ。床はきれいに磨き上げられた光沢のある大理石で、壁は私が毎朝食べているマフィンのような黄身がかった白だった。廊下の両側にはがっしりとして重みのある木製のドアが並び、そのそれぞれには部屋番号を示す金属のプレートがついていたが、その番号は不揃いで出鱈目だった。〈936〉のとなりが〈1213〉でその次が〈26〉になっている。そんな無茶苦茶な部屋の並び方ってない。何かが狂っているのだ。

私はためしに咳払いをしてみた。咳払いの音はあいかわらずこそこそしてはいたが、それでもエレベーターの中で咳払いしたときよりはずっとまともに響いた。それで私はほっとして、自分の耳に対していくぶん自信を取り戻すことができた。大丈夫、私の耳がどうかしてしまったというわけではないのだ。私の耳はまともで、問題があるのは女の口の方なのだ。

私は女のあとをついて歩いた。尖ったハイヒールのかかとが、カツカツという昼下がりの石切場のような音を立てて、がらんとした廊下に響いた。ストッキングに包まれた女のふくらはぎが大理石にくっきりと写っていた。

女はむっくりと太っていた。若くて美人なのだけれど、それにもかかわらず女は太っていた。若くて美しい女が太っているというのは、何かしら奇妙なものだった。私は彼女の後ろを歩きながら、彼女の首や腕や脚をずっと眺めていた。彼女の体には、まるで夜の間に大量の無音の雪が降ったみたいに、たっぷりと肉がついていた。

つるつる。こっくり。ぐるり。のっぺり。がっしり。こそこそ。ほっ。がらん。くっきり。むっくり。たっぷり。

なるほど村上春樹という人は、誰かと出会った瞬間に、「あ、もっそり」という語感でその人を理解してしまうような人なのではないか。このオノマトペなのか何なのかよくわからないような形容詞が、いちパラグラフにつきひとつは出てくる。それは別に良いことでも悪いことでもないのだが、最初はそれが口の中の水分をすべて奪ってしまうようなぼそぼそとしたマフィンのように感じられた。

ちなみにこのあと何度か朝食を取るシーンが劇中に出てくるが、主人公はマフィンを食べない。

けれどもそういった違和感は読み進めて行くにつれ薄れていき、読書体験に使われる臓器は口から腹へ移行した。すなわちこの小説はやたらと私の胃を刺激することに成功したのである。ハードボイルド・ワンダーランドの主人公である私と図書館のレファレンス係の女の子は劇中で二度たっぷりとした(あれっ)食事を取るが、そのどちらもが随分とうまそうで、私はこの書を読み終えたあと、どうしても良質なトラットリアに行かなければ気が済まなくなってしまった。

最初の食事は私がつくる。

梅干しをすりばちですりつぶして、それでサラダ・ドレッシングを作り、鰯と油あげと山芋のフライをいくつか作り、セロリと牛肉の煮物を用意した。出来は悪くなかった。時間があまったので私は缶ビールを飲みながら、みょうがのおひたしを作り、インゲンのごま和えを作った。それからベッドに寝転んで、ロベール・カサドシュモーツァルトのコンチェルトを弾いた古いレコードを聴いた。モーツァルトの音楽は古い録音で聞いた方がよく心になじむような気がする。でももちろんそういうのも偏見かもしれない。

私はテーブルに料理を並べ、彼女がそれを片端からたいらげていくのを、感心して眺めていた。これくらい熱心に食べてくれれば料理の作りがいもあるというものだ。私は大きなグラスにオールド・クロウのオン・ザ・ロックを作り、厚あげを強火でさっと焼いておろししょうがをかけ、それをさかなにウィスキーを飲んだ。彼女はなにも言わずに黙々と食べていた。私は酒を勧めてみたが、彼女は要らないと言った。「その厚あげ、ちょっとくれる?」と彼女は言った。私は半分残った厚あげを彼女の方に押しやって、ウィスキーだけを飲んだ。

「もしよかったら御飯と梅干しがあるし、みそ汁もすぐに作れるけど」と私は念のために訪ねてみた。

「そういうの最高だわ」と彼女は言った。

私はかつおぶしで簡単にだしをとってわかめとねぎのみそ汁を作り、ごはんと梅干しを添えて出した。彼女はあっという間にそれを平らげてしまった。テーブルの上が梅干しのたねだけを残してきれいさっぱりかたづいてしまうと、彼女はやっと満足したようにため息をついた。

私はもう一度彼女に酒をすすめた。ビールを欲しいと彼女は言った。私はビールを冷蔵庫から出し、ためしにフランクフルト・ソーセージを両手にいっぱいフライパンで炒めてみた。まさかとは思ったが、私が二本食べた他はぜんぶ彼女がたいらげた。重機関銃で納屋をなぎ倒すような、すさまじい勢いの食欲だった。私が一週間分として買いこんできた食料は目に見えて減っていった。私はそのフランクフルト・ソーセージで、おいしいザワークラウト・ソーセージを作るつもりだったのだ。

私ができあいのポテト・サラダにわかめとツナをまぜたものを出すと、彼女はそれも二本目のビールとともにぺろりとたいらげた。

「よかったらデザートにチョコレート・ケーキもあるけど」と私は言ってみた。彼女はもちろんそれを食べた。

これが一度目の食事の全容である。読んでいるだけで腹が減ってきませんか。私は書き写しているだけでもう腹がぺこぺこです。さっきナシゴレンを食ったのだけれどな。

これもうまそうだが、二度目の食事もかなり腹が減るものである。このままぜんぶ書いちゃう。

ワインが決まると我々はメニューを広げて食事の作戦を立てた。選択にはかなりの時間がかかった。まずオードヴルに小海老のサラダ苺ソースかけと生ガキ、イタリア風レバームース、イカの墨煮、なすのチーズ揚げ、わかさぎのマリネをとり、パスタに私はタリアテルカサリンカを,彼女はバジリコ・スパゲティーを選んだ。

「ねえ、それとべつにこのマカロニの魚ソースあえというのをとって半分こしない?」と彼女が言った。

「いいね」と私は言った。

「今日は魚は何がいいかしら?」と彼女がウェイターに訪ねた。

「本日は新鮮なスズキが入っております」とウェイターは言った。「アーモンドをあしらった蒸し焼きでいかがでしょう?」

「それをいただくわ」と彼女は言った。

「僕も」と私は言った。「それにほうれん草のサラダとマッシュルーム・リゾット」

「私は温野菜とトマト・リゾット」と彼女は言った。

「リゾットはかなりのヴォリュームがございますが」と心配そうにウェイターが言った。

「大丈夫。僕は昨日の朝から殆ど何も食べてないし、彼女は胃拡張だから」と私は言った。

ブラックホールみたいなの」と彼女は言った。

「お持ちいたします」とウェイターが言った。

「デザートは葡萄のシャーベットとレモン・スフレとエスプレッソ・コーヒー」と彼女は言った。

「同じものを」と私は言った。

切りがないので注文だけでやめておく。この後に続く食事の描写がとにかくこれもうまそうなのだ。ああ腹が減ってきてたまらないので今日はどこかよさげなトラットリアを探しにボローニャに飛ぶことにしよう。文章など書いている場合ではない。