ミシェル・フーコー『社会は防衛しなければならない』構成

フランスの思想家、ミシェル・フーコーコレージュ・ド・フランスにて1976年一月から三月にかけて行った講義録である、Foucault, Michel. "Il faut défendre la société" の日本語版、『社会は防衛しなければならない』を現在学んでいる。しかし、この翻訳はあまり良いものではない。明らかに歴史を理解していない記述も数多くみられる。その一例としては、日本語版100頁の先頭、「ウィリアムによるノルマン人の征服…」とあるが、これではウィリアムがノルマン人を征服したかのように理解されてしまう。もちろんそうではなく、オラニエ公ウィレムは所謂「ノルマン・コンクエスト」を行った張本人である。この様な初歩的なミスが幾つか見られるため、フランス語版か英語版で摂取するのがよいだろう。

構成について

§ 序
  • 1月7日。この段階では、まだフーコーは何が言いたいかについて自分でも確信しているわけではなく、大まかな頭の中の見取り図に従って話している。
§ 総論
  • 1月14日:主権論を批判する。その上で、権力関係の分析のための言説として、別のアプローチが存在することを示唆する。
  • 1月21日:歴史的=政治的言説と哲学的=法的言説を対立させる。後者はずっと存在し続けてきたものであるが、前者はそうではなく、17世紀以降発展してきた。これは社会に亀裂を入れ、対立を先鋭化させるようなタイプの言説である。20世紀の人種主義もまた、この言説の内側に位置づけることができる。
  • 1月28日(→まとめあり):いかなる意味で歴史的言説が「対抗史」であるのかを詳しく説明し、それがいかにローマ的なもの(哲学的=法的なもの)と対立するかを詳細に描き出す。ここがこの一連の講義の一番の肝であるから、ここを正確に理解すれば他は分かってしまうだろう。
§ 各論

歴史文献を辿りながら、フーコーが「歴史的言説」と呼ぶものの変遷をみていく。

  • 2月4日:17世紀イギリス、特にホッブズについて。ホッブズはよく考えられているような戦争の哲学者ではなく、「戦争状態」の哲学者であって、歴史的思考とは対立する。
  • 2月11日:17世紀フランス、特にブーランヴィリエについて。société, nation が「歴史の新しい sujet」として出でる。
  • 2月18日:引き続きブーランヴィリエについて。
  • 2月25日:18世紀フランス、特に反動貴族について。
  • 3月3日:革命以前から以後にかけてのフランスにおける歴史知の一般化について。
  • 3月10日(→まとめあり):特にシェイエスによる nation 概念及び歴史言説の再構築について。彼は反動貴族の対抗史を換骨奪胎して国家に親和的なものに変えてしまう。
§ 結語