ミシェル・フーコー『社会は防衛しなければならない』1976年3月10日

構成についての全体的なまとめも参照。3月10日の講義は、いかにして歴史言説がブルジョワジーによって転倒されてしまうか。特にシェイエスについて。また、そこから生じてくる「歴史理解可能性解読子」(何というわかりにくいことば!)についても。

1. 革命における民族概念の政治的再構築:シェイエス (p. 215-)

  • 本講義で問題となるのは、歴史言説の自己弁証法化、及び、その結果としてのブルジョワ化である。フーコーにとっては、18世紀以降、歴史の根本にある「戦争」という歴史理解が、いかにして革命以降のフランスで「沈静化」されるのか、またいかにして戦争が、歴史を構成するものから社会を保護するものへと変えられていってしまうのか、という事が問題となる。
  • 元来反動貴族にとってナシオンという概念は、絶対的な君主の法的な言説に対抗し、二つのナシオンが一つの社会の中にあるということを強調するために引き出されたものであった*1
  • しかしフーコーによれば、シェイエスにおいてこのようなナシオン概念は転倒させられることになる。ここでナシオンは、共通の法(common law, droit commun)と立法府(legislature)によって成立する法的国家*2(juridical state)という法的=形式的な条件と、「仕事travaux」と呼ばれる農業・手工業・商業・リベラルアーツや、「職能fonctions」と呼ばれる軍隊、司法、教会、行政といった歴史的=機能的条件の両方を満たさなければ存在できない*3。しかし(当然のことだが)ここで挙げられている諸条件はむしろ、ナシオンが存在することの結果なのであってその前提ではない。この点でシェイエスの分析は時間軸上では転倒しているのだ。
  • シェイエスにとって、フランス自体はナシオンではない─統一的な法も、統一的な軍隊や行政も存在しないからである。そして、これらの形式的及び歴史的条件をすべて担保している第三身分こそがフランスにおいて唯一ナシオンとして認められ得るのである。
  • このような政治的言説はシェイエスのみに帰属するものではなく、今でもその力を失っていない。このような言説の特徴は二つある。それは第一に、反動貴族の言説とは全く先反対の、個別性と普遍性の関係を示すことになる。反動貴族たちは社会の全体性から個別的な貴族の権利*4を取り出したが、ブルジョワジーはそれを逆転させ、個別性から出発して自らの普遍性を主張するのである。これに関連して、彼らは時間軸をひっくり返し、過去に打ち立てられた権利ではなく、現在にすでに現れている未来の名において要求を行うことになる。

2. 歴史言説への理論的諸帰結と諸効果 (p. 223-)

  • このような言説は、理論的には幾つかのインプリケーションを持っている。第一に、ナシオンは他のナシオンとの水平的関係性において把握されるものから、国家との垂直的関係性において意味を持つものへと変わってくる。第二に、ナシオンの力は、反動的貴族が記述した物理的な強さではなく、その可能性や潜在的な力のようなものであって、それはその国家との親和性において図られるようになる。「ナシオンの歴史的役割とその本質的な機能は、他の那智音に対して支配の関係を行使する能力によって定義されるのではなくなる。」それは、自らを国家化する能力によって定義されるのである。
  • ここで歴史言説は、17世紀以前の、まさに反動貴族たちの攻撃の対象となったような、国家自らの語りとしてのローマ的な歴史の様相を再び帯びてくることとなる。血なまぐさく物理的な戦争として描かれていたものは今、非暴力的で市民的な闘争に置き換えられる。戦争の道具としての国家は、単なる闘争の場として描かれ直されるのである。

3. 新しい歴史の二つの理解可能性の解読子:支配と全体化 (p. 225-)

  • ここで、歴史の理解可能性intelligibilité*5は二つ存在することになる。第一に、一八世紀以来の反動貴族的理解可能性。ギゾー、オーギュスタン・ティエリ、ティエール、そしてミシュレ。彼らは歴史の起源にある戦争を、支配を、勝利と敗北を、それに由来する権利を歴史に見る。しかし、もう一方では、起源ではなく現在を起点として歴史を理解する解読子が発生してくる。それは元々否定的な忘却の瞬間であった現在を、ナシオンによる国家的普遍性の獲得という、「最も充溢した瞬間」へと仕立て直すのである。これら二つの解読子は、対立するように見えながら混ざり合い、引き裂かれた起源と、現在の全体化という二つの端を持つ歴史を編み出す。一九世紀前半に機能している歴史は、これら二つを用いながら、どちらを強調するかで極を生み出す。一方には起源的対立と支配を強調する右派的・反動的言説、そして他方には今・ここで起こっている全体化作用を強調するリベラル・ブルジョワ的言説がある。前者はモンロジエ、後者はオーギュスタン・ティエリによって代表されるが、彼らの言説を良く追ってみれば、どちらも、この両方の解読子を使わなければ語ることができない、ということが明らかである。

4. モンロジエとオーギュスタン・ティエリ

  • まず、右派的反動貴族の末裔であるかのように見えるモンロジエの言説が、実のところ「革命」という充溢した瞬間としての現在を頂点として語られていることを示す。そもそもモンロジエにとって、フランク人の侵入そのものは対して重要ではない。なぜなら、それ以前にも支配関係は存在していたし、それは結局のところ暴力によって支えられていたからである。そして、それ以降の支配関係も、フランク人がローマ人を支配する、というかたちではなく、ガリア人・ローマ人・フランク人の中の支配者たちが、その中の被支配者たちに対して優位にある、という関係性だからである。問題は何人であるかではなく、貴族であるかないかという点にある。そして君主は、貴族から権力を簒奪するために、ナシオンとしての貴族の外側にある被支配者たちへと手を伸ばし、彼らを新しい階級として作り出すものとして描かれる。君主は新しく人民を作り出し、この階級の貴族に対する反乱を利用して権力を獲得するのである。そしてその最終段階として人民の君主に対する革命がある。即ち革命は、君主制の究極的な形なのである。モンロジエにとって現在は、君主制という怪物の究極形としての人民支配として把握される。
  • 第二に、モンロジエとは対立しているはずのオーギュスタン・ティエリが、いかにして起源の闘争を利用しているかが示される。彼にとって革命は、13世紀以上続いてきた勝者と敗者の闘争における最後のエピソードであって、そこにおいて始めてナシオンが国家という形で全体化され、普遍性を獲得することとなるのだ。そもそもこの「闘争」は、実際のところは、中世における農村社会と都市社会の対立として、即ち二つの異なった形で構成された社会の対立として歴史の中で存在してきたのであって、都市社会が農村社会に対して勝利するということは、軍事的勝利ではなくまさに市民的civilな理由からそうするのである。その勝利は支配からではなく、単に都市こそが国家を構成する機能を生み出すことができたという事実から生まれる。第三身分がすべての国家機能を掌握したと感じたとき、彼らはまず、貴族たちに対して社会契約を提案するが、これは実際と対応しておらず失敗する。そこでここに最後の物語としての革命が作動することとなる。そこでは、第三身分は自ら国家を引き受けることで普遍性を獲得し、 « a nation » から « the nation » へと変化するのである。

5. 弁証法の誕生

  • 以上に見られるように、19世紀においては、18世紀では問われなかった問いが発生する。「現在において普遍的なものの担い手は、普遍的なものの真実とは何か?」という問いである。この、現在に普遍的な真実の充溢を見る思想こそが、弁証法の誕生をはっきりと示している。

*1:ところで、「非常に緊密に編まれた認識的横糸une trame épistémique très serrée」は、原典では「横糸trame」と書いてあるが、英語版では「網web」になっている。

*2:邦訳では「法治国家」とされているが、これは誤訳だろう。

*3:“Que faut-il pour qu’une nation subsiste et prospère? Des travaux particuliers et des fonctions publiques.” Sieyès, “Qu’est-ce que le tiers état?” Chapitre Premier

*4:原典では「droit」。邦訳では「貴族の法」とされているが、ここは「権利」が適切な訳。

*5:ニーチェからか?と思ったが、サルトルにも “L’intelligibilité de l’histore” なる著作あり。概念史が気になる。