なぜ TRIPS は問題なのか?イノベーションとグローバル・ジャスティスの間で

Philosophy Bites という Podcastポッゲのインタビューが出てきたので、それについて少し書こうと思う。

Thomas Pogge and TRIPS

WTO 設立協定の一部として TRIPS という協定がある。Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights の略で、いわゆる知的財産を保護するためのものだ。この協定についての詳細を記すことはこの記事の目的ではないけれども、そのインプリケーションの一つとして、医薬品の製造工程が保護されることとなることがここでは重要だ。

近年、政治哲学者のトマス・ポッゲが行っている主張の一つに、TRIPS 批判がある。ポッゲはジョン・ロールズハーバード大学で教えを受けた政治哲学者で、現在はイェール大学教授。彼によれば、この協定のおかげで数百万の人が命を脅かされているという。例えばインドで小さな製薬会社がアメリカで特許として登録された医薬品を(たとえその製法が分かっていたとしても)調合することは TRIPS に反することになる。さらに議論を一般化すれば、特許制度そのものが問題、ということになる。

しかし特許を無くすわけにはいかない。新しい医薬品を調合してイノベーションを起こすためには、無数のトライ&エラーを繰り返すための膨大な時間と費用が必要だ。特許制度がなければ、そもそも人々にイノベーションを起こすためのインセンティブを与えることができない。しかし、特許制度が存在する限り、イノベーションを起こした製薬会社は少なくとも数年、或いは数十年の間その医薬品に対して高額の値段を付けることになり、結果としてその薬が必要な多くの貧しい人々がそれを利用できないということになる。これでは本末転倒だ。現状、約五万の人間が毎日、避けることのできたはずの病で亡くなっていることを考えれば、問題は深刻であるというほかない。

だから─とポッゲはいう─製薬会社に対して、何か別の形でインセンティブを与えることが必要なのだ。新たなスキームとして彼が提案するのは、Health Impact Fund と呼ばれる新しいファンドの設立だ。この組織は、イノベーションに対しての報酬をそれが引き起こした実際のインパクトに準じて与えるものだ。新薬開発によってどれだけ多くの人が救われたかを評価し、それに準じた報酬をファンドから与える。そうすれば製薬会社には、開発した新薬をできるだけ安くして、多くの人に利用して貰えるようにするための強力なインセンティブが発生すると考えられるのである。具体的には、新薬によって引き延ばされた命のクォリティ(QOL、Quality of Life)を評価の対象として、政府から出資を募る。世界中の国の三分の一が参加し、GNI のうち年 0.03% 程をファンドに流すような仕組みを作れば、年60億ドルほどを利用して毎年二つの新薬をこのスキームに乗せることができる(数字は全てポッドキャストから)。製薬会社にとってもこれはパブリック・イメージの向上に繋がり、また実際に世界に対して善をなすことができるため、倫理的にも商業的にも筋が通っている。

Global Justice

哲学的な見地からは、これが帰結主義 consequentialism であるか否かということが興味の対象になる。ピーター・シンガーからすればこれは明らかに帰結主義的な問題設定であるということができるだろうが、ポッゲとしてそうではない。そもそもポッゲは人々の良心に訴えようとしているのではない。彼の主張はもっと先鋭的である:「私は人々に助けるよう求めているわけではない。自分が起こした害悪の責任を取れ、といっているのだ。 I'm not asking people to help. I'm asking people to make up for the harm they do.」彼の主張によれば、いわゆる先進国の人々は、TRIPS のような協定を作り上げ、貧困のどん底にある人々に対して医薬品が供給されないような仕組みを作ってしまっている。それはそのような国に生きる我々の責任でもある。なぜなら、それを作り出した諸政府は我々の代理人として活動しているのであるから。これは単に、最も恵まれない者が最大限を得ることのできるようなルール作りをしよう、というロールズ的な問題設定ではない。むしろ彼は責任の語法で、害悪に対して償いをせよ、と問い詰めるのである。不正なルールを作り出してしまった人間として、我々は明確な倫理的責任を負っているのだ。その責任に答えることこそ、グローバル・ジャスティスである。

そもそも知的財産権自然権に含まれない。厳格なリバタリアンであろうとするならば、我々は人間の物質的な財産権に対してより注意を払わなければならない。調合方法を知っていて、調合するための物質も既に正統的な仕方で手にしているのに─つまり、自分のものを好きに加工し、労働を加えて商品として仕立てようとするのに─それを禁ずるような法は、リバタリアンには到底受け入れられないはずである。知的財産の問題は権利の問題ではなく、純粋に制度的な問題として取り扱われるべきである。

Climate Change

以上のような考え方は気候変動にも応用することができる。少なくとも先進国の人間は、クリーン・テクノロジーを利用することでできるだけ地球温暖化ガスを排出しないようにする責任を負っている。環境を今まで破壊してきたのはまさに我々(もしくは我々の政府)であるからだ。そのような倫理的要請は、現在のグローバル化した社会を考える上で非常に重要なものとなるだろう。