倫敦記

11月になった。

最近起こったこと。友人が日本やガーナから倫敦を訪ねて来る。フランス人の友人が沢山できる。麻雀をプレイする機会が増える。など。

学業面では、第二のエッセイの期限が迫っている。問いは、「How might anti-structural ideas and concepts be possible, and what role might religion and ritual play in articulating these? Where/how does the individual feature?」。基本的には、ビクター・ターナーの Liminality 概念が anti-structural であるか否か、という話。基本路線としては、リミナリティは構造を一旦停止させると共にそれを再生産する機制であるから真の意味で anti-structural であることは難しいとしつつも、ターナーをできるだけ擁護するようなエッセイになると思う。メアリー・ダグラスの穢れ概念も利用することになるかも知れない。

The Ritual Process: Structure and Anti-Structure (Lewis Henry Morgan Lectures)

The Ritual Process: Structure and Anti-Structure (Lewis Henry Morgan Lectures)

ブックレビューも書かねばならない。こちらは中国による支配以前のチベットにおける法のコスモロジーを描いた The Golden Yoke について書くつもりだ。著者はチベット仏教の示す世界観、コスモロジーがいかにして法の観念自体に影響を与えているかを様々に示そうとするが、批判としては、すべてをそのような世界観に帰するのではなく、より社会学的な説明もしなければならないのではないか、という点だろうか。もう少し問題は複雑なはずである。といったところ。そろそろ書き出さないとな。

The Golden Yoke: The Legal Cosmology of Buddhist Tibet

The Golden Yoke: The Legal Cosmology of Buddhist Tibet