神話と歴史、ナショナリズムと佛教

Obeyesekere, Gananath. 1992. Myth and Political Legitimation at the Sacred Centre in Kataragama, Sri Lanka. In Bakker, Hans (Ed.) The Sacred Centre as the Focus of Political Interest. Groningen: Egbert Forsten.

本論文は、とある神の様々な解釈可能性をめぐる神話/歴史生成の実践についての論考である。スリランカの東南部にあるカタラガマという聖地は元来ヒンドゥー教の神格であるスカンダ神を祭っているが、彼は南印度においてはムルガンというタミルの神としても知られており、そしてスリランカではカンダ・クマーラ、あるいはカタラガマ神という名で、シンハラの王マハーセナの生まれ変わりとしてシンハラ人にも親しまれている。しかしシンハラ人とタミル人の対立が深まるにつれて、タミル人は益々スカンダ神のムルガンとしての側面を強調し、シンハラ人は逆にマハーセナ王の生まれ変わりとしての側面を強調するという事態になっている。シンハラ人とタミル人との関係性は、歴史が語られる度、その当時の社会状況に即したものとして解釈されなおす。例えば5世紀に編纂されたマハーワンサにおいてはタミル人の王エーラーラは異教者ながらも徳のあるよき王としてあらわれ、彼を殺してしまったドゥッタガーマニー王は良心の呵責に悩まされるが、その2世紀後に編纂されたパーリ語のテクストである Sumangalavilasini においてはドゥッタガーマニーは寧ろ彼を死を大いに喜ぶのである。これは後者が編纂された際にタミル人が再度憎むべき敵として意識されていたことを示している。

近代の反タミル的言説は18世紀、オランダの植民地となったスリランカにおいて始まる。これは当時スリランカの間接統治政権であったキャンディ王国がタミル系のナーヤッカル王朝へと移行したからである。ナーヤッカルは仏教化しシンハラ語を話したが、一方でシヴァへのバクティを継続させてもいた。スカンダとドゥッタガーマニーが結びつけられるのはこの当時が初めてである。すなわち、王と神が結びつけられることで、スカンダはシンハラ人の神として明確にタミルの支配に反抗することになるのである。そして、近代の歴史学者もまた、「年代」という装置を利用し、神話を歴史の中に位置付け、歴史を神話の中に位置付けることによって、新しい神話を語るものたちとともにネーションの物語を再構成して行くことになる。

興味深かった点

  • 年代毎にタミルに対する評価が変わっていくというところは非常に面白い。当然だが、今日語られる神話には、エーラーラを殺害したことに苦しむドゥッタガーマニーの姿は出てこない。また筆者は(明確には語っていないが)タミルとシンハラの闘争を、植民地主義の産物として見ている。筆者自身スリランカ出身であるから、苦々しいものがあるだろう。
  • 近代教育の結果として発展した歴史意識が神話と強い親和性を示すというのは興味深いところだ。あまりオベーセーカラの書いたものは好きではないといったばかりだが、これは素晴らしい文章だった。