認識論から存在論へ

Castro, Eduardo Batalha Viveiros de. 2004. Exchanging Perspectives: The Transformation of Objects into Subjects in Amerindian Ontologies. Common Knowledge 10(3): 463-484.

面白かった。西ヨーロッパで発達した認識論および存在論を北アメリカで発達したそれと比較して論ずるという趣旨。

アメリカ人の世界観は、(1) 動物の人間性(人間の動物性との対比)、(2) 観点主義(相対主義との対比)、 (3) 多自然主義多文化主義との対比)、(4) 客の主体化(主の客体化との対比)、(4) 変化による生成(無からの生成との対比)、(5) 単一の認識論と、複数の存在論(単一の存在論と複数の認識論との対比)によって特徴づけられる。動物は元来社会性を持ち人間と会話をすることができたが、なんらかの理由でできなくなる─人間が元動物なのではなく、動物が元人間である。人間にとって血であるものはジャガーとっては酒であるが、それは一つの世界を様々にみているのではなく、様々な世界を一様に見ているのである。西ヨーロッパ人が世界を分析するとき、それは「客体化」、「モノ化」によって特徴づけられ、視線の行く先にあるものは物言わぬ対象に成り果てるが、アメリカ人が世界を分析するとき(あるいは分析と言わない方がいいかもしれないが)、視線の先にあるものは主体となり、ものを語り始め、ヒトとなる。ヨーロッパのポエーシス的な誕生モデルは生産のパラダイムに属しており、無からの絶対的な生成を前提としているが、アメリカの変化モデルは交換のパラダイムに属しており、絶対的な始まりなどというものは存在しない。人類学は最もカント的なディシプリンとして、常に不変たる対象をいかにして認識するかを考えてきたが、問題は認識論にあるのではなく、存在論にあるのではないか、と問うて議論は終わる。

  • アニミズムについて語るのは素晴らしいが、日本人がこれをやると単なる自文化礼賛にしかならないのではないか。特に視線の客体化・主体化作用の話は本当日本文化論かと思ったぞ。いや、これもアメリカ大陸に日本的なものを投影する自文化中心主義だろうか?