アジア主義と文明の言説

Duara, Prasenjit. 2002. Sovereignty and Authenticity: Manchukuo and the East Asian Modern. Oxford: Rowman and Littlefield Publishers.

Chapter Three, Asianism and the New Discourse of Civilization.

本章では、ヨーロッパに端を発する「文明」の言説が以下にして東アジアの近代に影響を及ぼしたかが検討される。文明概念は様々な場所で様々な携帯をとったが、常に自己と他者との関係性を規定するものとして現れた。19世紀後半から20世紀前半にかけて、文明の言説は、一方に「西洋」という絶対的な単一文明、他方にそれに対抗する運動を行う諸文明という対立軸を作り出した。日本におけるそれが「文明開化」を経たのちに自らをアジアにおける文明の旗手として飾ったことはよく知られている。岡倉天心に始まるアジア主義は、西洋文明に対する東洋文明の精神的優越性を主張し、五族協和をうたったが、その実践の中で日本人は常に一段上の存在として位置付けられていた。中国にもまた、世界紅卍字会のような宗教団体が存在し、様々に救世をうたった。これらの団体は儒教・仏教・道教を合わせた三教合一的な伝統の中から生まれてきたものではあったが、一方で普遍性を求めるものでもあった。文明の言説は常にナショナルであると同時にトランスナショナルであり、ノルベルト・エリアスがかつて論じたように、状態としてもプロセスとしても機能する。すなわち「既に実現された」文明の状態としてはナショナルなものとなり、「まさになされつつある」文明化のプロセスとしては普遍性を希求するのである。さて、この様な「救世的団体 redemptive societies」が満洲国で果たした役割は陰影に富んだものである。彼らは大衆の支持を得るために基本的にはこれらの団体からの支持を得んとし、実際に親密な関係性を構築したが、基督教色の強い団体は一方で植民地的支配に抵抗的でもあった。それは一方で新しい文明の可能性を示していると思われたが、他方では(例えば国民党の支持層にとっては)古い帝国的想像を掻き立てるものでしかなく、再教育されるべき対象として位置付けられた。このアンビバレンスもまた、満州国におけるナショナルな想像と帝国的な想像の矛盾と相克の形跡を示している。

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  • ちょっとまとめきれていない感があるのでまた書き直す。