倫敦にも春がやつてくる

しばらく日記を書いていなかった。

ここ一、二ヶ月でヨーロッパの都市をいくつか廻った。バルセロナ、パリ、アムステルダムプラハ、などなど。もとより旅行が好きなタイプではないが、なかなか悪くない体験であった。

試験が終わった。成績は11月までわからない。とりあえず書くべきものは書いたと思う。

修士論文の案、一つ固まったと思っていたら、もう一つアイデアが浮かんできてしまって困っている。とりあえずどちらもあるていどのものに仕上げてみる。

今の所思いつくのはそれくらいだ。徐々に書く文章の量を増やしていきたい。

金融の人類学と時間性

Miyazaki, Hirokazu. 2003. The Tempralities of the Market. In American Anthropologist 105(2): 255-265.

とても面白かった。本論文は、日本の証券会社で働く人々の時間性に着目するものである。宮崎は、社会理論家は、知識形成を駆動する時間的不和 temporal incongruity により注目すべきだ、と論ずる。戦後の日本資本主義は、アメリカに対する自らの「遅れ」によって自己を形成してきた。アメリカに「追いつき、追い越す」こと、かの国から様々なモデルを輸入し、自らを改善し続けること、その意識こそが日本の戦後復興を駆動した。資本主義の最先端にある市場が生産から投機へと移った際も、そのテンポラリティは再生産される。

ここで注目されるのは、投機ではなく裁定取引、鞘取り、アービトラージである。「アービトラージは、投機のように、市場の動向予測を必要とすることはなかった。しかしそれは、将来のポジションがどうなるにせよ、それは均衡性と効率性に即したものになる、という信仰の上にのみ成立できた」と宮崎はいう。アービトラージは、理想となる市場の均衡性と効率性からの現実の逸脱を矯正する、という意識のもとで行われる。それは理想化された状態が実現した時点からの追想を先取りして行われるのである。これは、エルンスト・ブロッホNot Yet存在論と呼ぶものと共振している。

ソ連崩壊直後のロシア地方経済

Humphrye, Caroline. 2002. "Icebergs," Barter, and the Mafia in Provincial Russia. In The Unmaking of Soviet Life. Ithaca: Cornell University Press.

ソ連崩壊後の地方経済はそれぞれ「氷山」と呼ばれる、マフィアと関係しながら経済的にある程度自立した様々な団体の集合として現れた。あらゆるレベルの団体(ロシア共和国だけでなく、地方の例えばブリヤート共和国から村、果ては農場まで…)がソビエト連邦からの脱退を宣言し、地方の裁量が上位の権威が制定した法に優越することを宣言したとき、そこでは既に違法と合法の境目は見失われ(そもそも何が合法なのかも分からず!)、市民社会は崩落した、と筆者は言う。そこに現れるのは、筆者が「宗主」と呼ぶ、独立した、様々なサービスを提供する集団とそれへの依存であり、ソ連時代に存在した枠組みは経済的サブシステムとして活動し始めた。ルーブルに対する信用はもはやなく、貨幣は崩壊する。基本となるのはクーポン制をベースにした、仕事場が保有する、特定のカードを持つ人間のみモノを手に入れることのできる「市場」である。また、「Order」と呼ばれる、単位制の売買方法もある(すなわち一人につき一オーダーのみ「買う」ことができ、オーダーに含まれる物品の量は変動する、と言う手法)。また、物々交換も行われ、それもまた閉鎖した経済的関係のネットワークを作り出す。これらのサブシステムは単に経済的に自立しているだけではなく、政治的に自立している─すなわち、暴力を保持しており、マフィアのネットワークの中に位置付けられている。

イスラーム法、社会規範、ロカリティ

Bowen, John. Forthcoming. Fairness and Law in and Indonesian Court.

本論考は、社会的規範がどのように法的理由付けに影響を与えるか、という観点から、インドネシアイスラーム法廷におけるとあるケースを叙述したもの。インドネシアには市民法に基づくものととイスラーム法(シャリーア)に基づくものの二種類の裁判所が存在し、それぞれ教育機関が別である(法学部及びIAIN)。イスラーム法廷で扱われるのは、結婚及び離婚に関するもの、及び財産分割に関するものに限定されている。その中に一人でもムスリムが含まれていた場合、それはイスラーム法廷で扱う対象に入るが、どちらへ出頭するかは自由である。このガヨ地方では、市民法の裁判官は自分のポストを短期的なものと考えている場合が多く、ガヨ語も話せなかったが、イスラーム裁判官は地方の出身者が多く、ガヨ語やその慣習も良く理解していた。今回のケースは、1998年に行われた財産分割に関するもので、イネン・マリヤム対アマン・マス、と仮に呼ぶことにする事件である。原告は4人、被告は3人。6人姉妹と1人の長男からなる兄弟のうち4人の姉妹が1971年になくなった父と1986年に亡くなった母の土地を再分割して欲しいと訴えた。彼女らの訴えによれば、唯一の男であるアマン・マスが土地を不当に多く受け取り、そこには合意がなかった。アマン・マスは合意はあったと主張した。裁判の過程で、話し合いはあったこと、それを証明する書類が存在すること、分割がくじ引きで行われたこと、などが分かった。80年代までならばこのようなケースは原告の敗訴になってもおかしくなかったが、裁判官たちは、各人に割り当てられた比率がイスラーム法の精神に則っていないこと、12年経っていても現在訴えがあるということが合意がなかったことの証拠になること、この地方(ガヨ)の慣習(アダット)として正しくないこと、両性平等権の価値観、などを根拠に、原告勝利の判決が下った。その後上告があり、再審が行われたが、結果は変わらなかった。このケースは、裁判官たちが地方の社会的規範を根拠に判断を行った良い例である。

燈臺下暗し

大槻ケンヂはかつてサーチライトになりたいと歌ったが、わたしはできることなら灯台になりたいと思う。

サーチライトは月の光と共にタイト・ロープを照らす。それが光るのには確固たる理由がある。あなたの行く先を照らしたい。その道はわたしはいっしょに行けないかも知れないが、あなたは、あなたなら、行けるだろう。サーチライトは確かに夜空を明るく照らし出しもするが、まず、照らしたいものがあるから、光を発するのだ。「行け」、それがオーケンの光が発しているメッセージである。

けれどもわたしにはあなたの行く道を照らし出すことはできない。あなたが「良い所へ行ける」のかも、わたしがこれからどうなるのかも分からない。だからわたしは灯台になりたいと思う。あなたがいてもいなくとも、さしあたってわたしは、一定程度の光を出そう。あなたの船が今どこを取っているのか分からないし、それが発する弱い光はあなたには届かないかも知れないが、「わたしはここにいる、」「あなたはひとりではない、」そう言えたら。

アジア主義と文明の言説

Duara, Prasenjit. 2002. Sovereignty and Authenticity: Manchukuo and the East Asian Modern. Oxford: Rowman and Littlefield Publishers.

Chapter Three, Asianism and the New Discourse of Civilization.

本章では、ヨーロッパに端を発する「文明」の言説が以下にして東アジアの近代に影響を及ぼしたかが検討される。文明概念は様々な場所で様々な携帯をとったが、常に自己と他者との関係性を規定するものとして現れた。19世紀後半から20世紀前半にかけて、文明の言説は、一方に「西洋」という絶対的な単一文明、他方にそれに対抗する運動を行う諸文明という対立軸を作り出した。日本におけるそれが「文明開化」を経たのちに自らをアジアにおける文明の旗手として飾ったことはよく知られている。岡倉天心に始まるアジア主義は、西洋文明に対する東洋文明の精神的優越性を主張し、五族協和をうたったが、その実践の中で日本人は常に一段上の存在として位置付けられていた。中国にもまた、世界紅卍字会のような宗教団体が存在し、様々に救世をうたった。これらの団体は儒教・仏教・道教を合わせた三教合一的な伝統の中から生まれてきたものではあったが、一方で普遍性を求めるものでもあった。文明の言説は常にナショナルであると同時にトランスナショナルであり、ノルベルト・エリアスがかつて論じたように、状態としてもプロセスとしても機能する。すなわち「既に実現された」文明の状態としてはナショナルなものとなり、「まさになされつつある」文明化のプロセスとしては普遍性を希求するのである。さて、この様な「救世的団体 redemptive societies」が満洲国で果たした役割は陰影に富んだものである。彼らは大衆の支持を得るために基本的にはこれらの団体からの支持を得んとし、実際に親密な関係性を構築したが、基督教色の強い団体は一方で植民地的支配に抵抗的でもあった。それは一方で新しい文明の可能性を示していると思われたが、他方では(例えば国民党の支持層にとっては)古い帝国的想像を掻き立てるものでしかなく、再教育されるべき対象として位置付けられた。このアンビバレンスもまた、満州国におけるナショナルな想像と帝国的な想像の矛盾と相克の形跡を示している。

Comment

  • ちょっとまとめきれていない感があるのでまた書き直す。