カントとホッブズ

The Rights of War and Peace: Political Thought and the International Order from Grotius to Kant

The Rights of War and Peace: Political Thought and the International Order from Grotius to Kant

ドイツの哲学者、インマヌエル・カントは『永遠平和のために』などを著しており、国際関係論なんかではしばしば『リヴァイアサン』で有名なイギリスの哲学者トマス・ホッブズとは全く正反対の思想を構築した人として紹介されたりする。例えば有名な図式は英国学派の「ホッブス的・カント的・グロチウス的」国際関係思想みたいなものがある。

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

けれども上にあげたリチャード・タック(ホッブズ研究で有名。Very Short Introduction の Hobbes を書いたのも彼だ)の本は、こういう見方を思想史的に間違ったものとして退けている。むしろカントとホッブズ(後ルソー)なんかが国際関係について持っている思想というものはとても似通っており、違うのはプーフェンドルフだけ、という議論が展開されるのである。

特にカントについて書いている部分は面白い。表題の通りグロチウスから始まってホッブズ、プーフェンドルフ、ヴァッテル、ロック、ルソー、カントという順番で検討されているので、カントが出てくるのは一番最後。根気よく読み進めるのが面倒な人は、イントロダクションとホッブズに関する章、あとカントに関する部分と結論だけ読んでもいいかも。

カントにおいて前世代の国際法思想とは大きな断絶を見ることができる、という議論がしばしば見られるが、実際にその理論を注意深く読んでみれば、それが様々な形でホッブズとルソーの思想とを批判から擁護する形になっていることが分かるだろう…(pp. 224-225)

国際関係についてのカントの思想(p. 217-219)

本書において、特に『人倫の形而上学 Die Metaphysic der Sitten』をベースとして再構築されるカントの国際関係思想は以下のようなもの。

まず、自然状態の領域において彼は非常にホッブズ的な議論を展開している:

  • 国家は軍事力増強や先制攻撃によってバランス・オブ・パワーを保持する権利を持っている。
  • ロックのようにヨーロッパ人のアメリカ征服を正統化することはできないが、この問題を解決するのは非常に難しい。

つまり国家が(現実にそうなっているように)自然状態のうちにあり、お互いにとって戦争状態にある場合、カントが考えるその権利などはホッブズと同じものであるといってよい。

人間文化が現在の段階にとどまっている限り、戦争はそれをより進歩させるための欠かせない手段であるだろう。そして、文化が最も発展した場合において─それがいつになるかは神のみぞ知るが─初めて永遠平和が可能となり、それを享受することができるだろう。(カント『人類史の憶測的起源』)

けれどもここで展開されている思想はルソーと比べて遙かに楽観的なもので、現在のいわゆる「デモクラティック・ピース」理論にも繋がるようなビジョンが示されている。様々な主権国家が緩やかな連合を形成することができたのなら、よき共和国における市民と全く同じように、おおっぴらに公言できるような行為だけが正当だという考え方が国家の間でも共有されていくだろう、という考え方だ。

つまり今は自然状態だから仕方ないけれども、時が経つにつれて段々戦争は減っていくだろう、その時にどのような国際法を考えるべきか、というプロジェクトが開始される。この時初めて上記のような先制攻撃権のようなものは認められなくなる訳で、『永遠平和』というのはこのステージにあって初めて可能なるというわけだ。だからカントはそんなに簡単に「理想主義者」として取り扱うべき人ではないわけだ。